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まほろば紀行

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菖蒲池紀行

突然鳴り響く携帯電話の音に、私は手を伸ばした。
その波長は、短くあったのだが、掌の中で暫く浮かび上がる発信者の光を眺めていた。
おもむろに、文面を開いてみるとそれが、永らく保留になっていた案件であることに気がついた。
私の心は、にわかに踊り出した。
そう盟友「ならんちゅ」からの旅のしおりだったのである。
※ちなみに「ならんちゅ」とは漢字で表記すると「奈良人」と書く。
かくして私は、ならんちゅの待つ、奈良県奈良市の菖蒲池へ旅立つ運びとなったのである。

季節は、11月後半にさしかかったある日、私は事前に交通手段を入手していたにも関わらず
JR奈良駅を下車すると西に。近鉄奈良線の新大宮駅へ、頬をさらう冷えた空気の中を歩んでいた。
新大宮駅に到着すると時刻は、もうお昼前だったにも関わらず、この地が観光地の一角であると
私は、勝手に解釈している。平日のお昼にして、人の流れは、混雑していた。
そして、初めての乗車となるであろう近鉄奈良線へ乗車して、菖蒲池を目指して電車は、出発したのだった。

菖蒲池へ到着すると、雲の間から太陽がのぞいていたことで、良い旅日和であると感じていたのだが
待てど暮らせど、ならんちゅは一向に現れない……
改札口の上方に掲げられた「菖蒲池駅」という字体を見て、思い出したことがある。
それは、旅のしおりの題名にもあった「菖蒲池」恥ずかしながら私は、あやめ池という漢字を
ごく最近まで知らなかったのだ。

ならんちゅの血液型を私は、面と向かって聞いたことは無いが、多分B型だと思う。
結局いつもの感じで、20~30分遅れでならんちゅは、愛用の自転車で颯爽とやって来た。
今度から到着時間を30分早めに設定して丁度だなと心の中で思う。
おっと、ここで文章にしてしまうと、ならんちゅにバレバレである(苦笑)



かくして私たちは、久々の再開を果たした訳だが、時は昼食時なり。
線路伝いに住宅街の迷路道を抜けて、ならんちゅの住まいで暫しの昼食&休憩を!

一度足を休めると、そこから動くのが、えらく億劫に思えて仕方ない。きっと、ならんちゅの
心尽くしのもてなしと、居心地の良いダイニングがそうさせたのだ。
重い腰を上げて、玄関の重厚な扉を開ければ、冬風が見にしみる。そしてブーツの底が
冷たいことを言っておかねばならないだろう。

さあ、ここからが、菖蒲池紀行の真髄である。
迷路道を登ったり下ったりしていると、ならんちゅが突然。
「ここから小京都を味わって下さい」
と言った。それは、高級住宅街に突如として現れた路地から連なる急勾配の階段である。
周りに生い茂る高木が夕日に傾く太陽を遮断して大きな影を路に演出していた。
ならんちゅの感性は、どこまでも研ぎ澄まされている。
小京都でないと人は言ったとしても、彼の独自の世界観を通して見ればそこは、小京都で
しかないのである。私は、静かなその階段路を降りて行った。
階段を下りると路地は左側へ直角に曲がっていた。角を曲がると数十メートル先まで抜けた一本道が
太陽の路になっていて、眩しさのあまり、私は、中折れハットの角度を下方修正するように迫られた。

やがて住宅街のメイン道路とおぼしき所まで出てくると、奈良ナンバーの車が途切れることなく
私たちの横を勢いよく通り過ぎて行った。どうやらそこは、抜け道らしくなかには、一般道並みの速度で
走り去る車もあった。

私は、今回の旅にあたって何も下調べはしていない。しいて言うなら交通手段についてPCを
駆使したまでだ……
だから、目の前が開けた時に最初に飛び込んできた池が、あやめ池だと思ったが、ならんちゅは、
蛙何とか池だと言った。
私は、がっかりするどころか水に飢えていた、と言ったら大げさだが、親子で賑わう池の畔にかかる一本の橋に日常ではないものを感じて、蛙何とか池(正式には蛙股池)を神聖なものを見つめるような眼差しになっていた。
橋の幅は狭く、人が二人すれ違うほどだったが、そこから東の彼方に見えた若草山の雄姿にいたく心を打たれてしまった。そして電線にかぶる名阪国道。

菖蒲池紀行_e0307890_14451768.jpg



いよいよ目指すは、あやめ池、その目標めがけて、自転車と徒歩の凸凹コンビは、一度菖蒲池駅まで戻り
私は、あやめ池商店街の連絡通路を彼は、迂回して踏切を、それぞれ線路を越えて、奈良方面駅舎で落ち合った。この駅は、南北の改札口で雰囲気が全然異なるのだが、その模様は、街の構成にも似ていた。
到着時に降り立った難波方面駅舎は、レトロな下町の雰囲気が漂う一方で、その反対に奈良方面駅舎は
ロータリーが大きく開けて、その前を走る大きな道路に近代建築物が、閑静な佇まいをみせた。

駅舎の前に伸びる、目新しく映る歩道を、進んで行くと、そこがあやめ池、そしてかつての、あやめ池遊園地の跡だったのである。遊園地の面影はなく整備された公園となった元遊園地。その周りには、今ではマンションや住宅が立ち並ぶ。
池を二分する橋の先で私たちは、一息入れた。何処からともなく二羽の水鳥が、湖面を滑りながらこちらへやって来た。その姿に私は、目をやったのだが、そこで思わぬ物に遭遇した、円形のコンクリートの塊が二つ水面から数十センチ下に沈んでいる。私は、ならんちゅの顔を見た。彼にはそれが何であるかすぐ解ったらしくもの静かにそれが、当時賑わいをみせたであろう、絶叫遊具の基礎であると教えてくれた。
私は、ふと当時の賑わいを想像してみたが、聞こえてくるのは、歓声ではなく自然の摂理と、近くを走る車の排気音だけだった。隣の君は、今何を思う?家族との思い出のひと時を水面の向こうに見ているのかもしれない。
ならんちゅは、時々寂しそうに言葉を繋ぐが、私には実感がなく、昔の遺構というよりは、目新しく見えてならない。この街に関わる人、そうでない人とでは、同じものを見ても違って見える。
夕日に沈む、あやめ池を私たちは、ただ言葉少なく見つめるばかりであった。

菖蒲池紀行_e0307890_2155218.jpg













by travel2013 | 2013-01-10 12:49 | 奈良紀行

旅初心者が旅人を目指して奮闘する旅紀行です。


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