まほろば紀行

traveleco.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:京都紀行( 11 )

茶源郷和束~石寺の茶畑より

その一杯を求めて私は、旅に出た。

雄大な斜面に広がる青葉の風景……

あれっ?若干刈り取られている!?

e0307890_10065329.jpg
e0307890_10072226.jpg
e0307890_10081574.jpg
e0307890_10292991.jpg

ズッコケ!!!

下調べの甘さに自らツッコむ、私なのであった(苦笑) 



京都府和束町より




       










[PR]
by travel2013 | 2016-09-12 22:12 | 京都紀行 | Comments(2)

巨石群~笠置山

標高288mの笠置山はその昔、後醍醐天皇が三種の神器と共に篭城したことで有名である。
しかし圧倒的な兵力を有する幕府軍との戦乱の中で、後醍醐天皇の敗北と共に笠置寺は消失してしまった。

その後復興されるも、消失と復興の歴史は繰り返されていくことになる。

人間によって翻弄される歴史の中で、それに反して変わらない巨石群。刻まれた線跡は戦火によって薄れしまっても、破壊と再生を繰り返す人間がいる限り巨石信仰も続いていくのだろう……
e0307890_21564866.jpg
e0307890_21572344.jpg
e0307890_22415863.jpg
e0307890_21580384.jpg
e0307890_21584443.jpg
e0307890_21592273.jpg
e0307890_22421710.jpg


京都府相楽郡笠置町





[PR]
by travel2013 | 2016-08-28 23:20 | 京都紀行 | Comments(0)

夢幻峡と近代遺産

夢幻峡とは何ぞや!?摩訶不思議な名前に心躍らせて……

二つの支流が交わり大河をなす地点を、どうやら夢幻峡というそうである。
この美しい響きには悲しい恋の物語が秘められていた。

平安時代に叶わぬ恋人同士が、共に身を投げたという伝説が残っている。
e0307890_12293774.jpg
緑が覆い茂り、いまいち分かりにくいが夢幻峡に近い場所に到着、向かいの湖畔には大きな和風建築物が佇む。
その名も夢幻峡温泉鶴乃屋。湖畔の旅館からの景色は格別だろうと想像しつつ、木津川を降っていくと近代的な設備の一角に遭遇するのであった。
e0307890_12301336.jpg
奥に見えるのは取水口でここから、山の中の隋道(約1km)の道程をへて発電所へと続いている。ここから車で数分走れば、お待ちかねの近代遺産「大河原発電所」に到着である。
大河原発電所は、大正8年に建設されたレンガ造りの建築物で現在も稼動している発電所である。
e0307890_12304908.jpg
近づくにつれて機械の唸るような音が聞こえてきた。
e0307890_12311401.jpg
e0307890_12313032.jpg
e0307890_12314291.jpg
e0307890_12321046.jpg

窓周りだけ見れば洋館にも見えるが、レトロなレンガと相まったシャッターやステンレスのダクトを見ると、時代によって改修された跡がよく解る。
これからも日本の近代遺産を求めて旅は続く(予定)

京都府相楽郡南山城村




[PR]
by travel2013 | 2015-10-09 18:50 | 京都紀行 | Comments(0)

高原集落と異国の寺社建築

童仙房(どうせんぼう)とは何を意味するのか?
初めて聞いた人は”仙人”のようなイメージを膨らませているのではないだろうか。

京都府南端に位置する標高500mの集落を童仙房と呼ぶ。
その道中の険しさは、私ごときが文章に出来るほど甘くはない。しかし毎日通勤で使用する住人がいる事を考えると天上の暮らしがいかに過酷であるかは想像できる。

標高を一気に駆け上れば、童仙房は横に長い集落だった。
険しい道中に反して天上の集落では、茶畑が広がり、私が訪れた9月の中旬は、稲刈りの真っ最中であちこちで収穫の時を向かえていた。

しかし油断していると、対向できない道が多々現れるのでハンドルを握る手には常に緊張が走る。
そんな山道を進んでいくと、広大な敷地に突如として異文化漂う壮麗な寺院が現れる。

階段の先には……
e0307890_20515752.jpg
韓国様式の建築物、高麗寺の本堂がそびえる。

e0307890_20522732.jpg
e0307890_20533320.jpg
e0307890_20525704.jpg
軒先の垂木や枡組がこれでもかっ!ってぐらいに主張している。日本ではなかなか見ることのない軒先の意匠である。私は、韓国建築についてまったくの素人だが、かなり本格的な建物ではないだろうか……
隣には鐘楼堂が建っている。
鐘楼堂は外壁がないため天井の彩色を見ることができた。
e0307890_20540324.jpg
e0307890_20544784.jpg
さらに小高い丘に反りの強い屋根を発見した私は、好奇心の趣くまま歩き出したのだが、その道中には心臓破りの坂が待っていた!
不摂生の権現と化した私の体は重く、荒行を重ねて辿りついた丘の上には山神閣というお堂が建っていた。
e0307890_20551947.jpg
e0307890_20560329.jpg
丘を降ればいささか風は強く周辺の草木を揺らす。
ざわめく木々の喧騒の隙間を水の音が共鳴する。
清流が流れる緑の中の竜王堂まで足を伸ばしてみた。
e0307890_20564282.jpg
e0307890_20572338.jpg
e0307890_20581020.jpg
ここは、決して異国ではない。京都府の県境の集落である。三重県と滋賀県にまたがる山中なのだ。
機会があれば、童仙房をゆっくり歩いてみたいと思う反面、険阻な道中を思うと少し腰が引ける秋の夜長であった。









[PR]
by travel2013 | 2015-10-01 00:05 | 京都紀行 | Comments(0)

迷い人~路地を行けば

しんしんと降る長月の雨がYシャツを湿らせば、寒さが肌に染み渡る……
迷い人は、路地から路地を点々していた。

時計の針が午後を幾分か過ぎた頃だった、その侵食した壁に辿りついたのは!
建築年代が明確な民家としては、最古級と言われる小林家住宅へ
e0307890_22242089.jpg
e0307890_22243701.jpg
e0307890_22245381.jpg
e0307890_22251500.jpg
e0307890_22260502.jpg
土塀の鳥休めから覗く隣家との間は、年月の重みで境界線が波を打つ。
e0307890_22264379.jpg
迷い人も悪くはない。
何故なら新しい発見が路地には、待っているのだから……
e0307890_22265604.jpg
京都府木津川市界隈にて



[PR]
by travel2013 | 2015-09-13 09:24 | 京都紀行 | Comments(2)

恭仁宮を訪ねて

ここからだと眺めがいい。彼はそう言った。
僕は、彼の立つ高台の先端までやって来た。
「ほんとだね。ところで田島君、この下に昔の都があったのかい?」
彼は、振り返ることなく語る。
「そう。恭仁宮と言って聖武天皇が平城京から遷都したんよ。他の都に比べて規模も小さく、数年という短い間だったけども、確かにここは、日本の中心だったんや」
目まぐるしく、流れる時代の波に翻弄せれて生きる現代人である僕達。しかし時を遡ればその荒波は激しさを増していく。こんな長閑な里にもその時がやってきたのは、今から1300年も前のことだった。
e0307890_052378.jpg

田島君の故郷は、京都府木津川市加茂町という。長閑な田舎で、昔からこのあたりを、みかの原と言うそうだ。ときに加茂町は、東西に流れる木津川によって南北に縦断された地形をもつ。この木津川もかつては、いづみ川と言ったらしく、有名な句があるのだと、海住山寺に向かう途中の心臓破りの坂道で唐突に言われた。
僕達は、数年来の付き合いだが、以外に田島君はロマンチストらしい。目の前の急斜面を前にして、僕は、「そんなことは、女の子に言ってくれ」と言ったら、田島君は、男前にニヤリと笑った。それにしても、彼の健脚ぶりには、驚かされた。
きっと、子供の時分は、この辺りを走りまわる、わんぱく小僧だったに違いない。そして、やっとの思いで、三上山の中腹に位置する、海住山寺までやって来た。

みかの原を見下ろす高台を降りると、国宝の看板がひと際目をひく。
それが五重塔だった。
e0307890_0132857.jpg
「これは、鎌倉時代の傑作やで」
田島君は言った。
「うん。確かに立派だ。しかし屋根が……六重にも見えるけど」
「良い質問ですね」
池上彰のように彼が質問に答えた。
「一番下の屋根は、もこしって言うひさしなんや。だから屋根としては五重」
「詳しいなあ田島君は、歴史は得意だっけ?」
「いや、そりゃ今日のために予習をね」
僕は、五重塔を前に思わず声をあげてしまった。
「何だ。今日のために予習してくれたんだ。アハハハ」
田島君は、少し顔を赤らめて次行くよと言った。
e0307890_0202348.jpg

また、あの急な坂を思うと目まいがしそうだ。今度は下りだからと彼は何気にいったが、僕は知ってるんだよ。
下りの方が体力を消耗するのを。こんなことなら、お昼ご飯をおかわりしておけば良かったと、田島君のお母さんに遠慮がちに言ったことを、後悔しても遅かった。
僕の前を歩く彼が、何かを発見したらしく、声を低くした。
「今日は、タイミングがええわ。こっち来て」
僕は、彼の方へついて行った。
そこは、みかの原が見渡せる大きくカーブした道の先、すぐ下には、背の高い竹藪があった。彼のおしりに尻尾のように飛び出した右手が僕を呼んだ。その時だった。ガサガサ!?ガサガサ竹藪が揺れる。何事が起ったのか?彼のおしりが邪魔で分からない。崖から飛び出してきたのは、猿の群れだった。
コンクリートの道に躍り出た猿の中には、背中に子猿を背負う親子の猿も見られた。
僕は、田島君の肩に思わず手を置いた。二人して大行進を見守ったのは、午後のひとときだった。

先ほど見下ろした、みかの原に彼の家はあった。昔ながらの日本家屋で僕からしてみれば、味のある家だった。
玄関の中は、広い土間になっていて、僕は、彼の勧めでとりあえず式台の上に腰を降ろした。
田島君は、奥の台所へ消えていった。土間は、ひんやりしていて丁度良かった。土間に掛った暖簾の間から田島君が麦茶を持って出てきた。
「どうぞ」
「ああ、これはどうも」
「一服したら、恭仁宮跡へ行くで」
「了解」

僕は、ガラスのコップを口に加えたまま、ぐるりと竿縁天井を見上げた。式台の奥は、6帖の和室になっていて木彫りの彫刻とスリ硝子の4枚つづりの戸は左右に引かれていて、僕の背中は、気が緩むと6帖の和室に、転がりそうになった。この部屋は、昨晩寝室に借りた部屋でもある。昨日は田島君も僕と共にこの部屋で就寝した。修学旅行の夜みたいで、遅くまでくだらない話しで盛りあがったのだった。そのせいもあって、二人共大寝坊してしまい。田島君の家族には大変迷惑をかけてしまった。
そのせいで、大分遅めの朝食が昼食でもあった。
部屋の中を見て、昨日は気がつかなかったけど、奥の間の襖に何か書いてあることに気がついた。
よく見て見ると、みかのはらとか書いてある。僕は、田島君に聞いた。
「あのさあ、そこの襖にみかの原って書いてあるけど……」
「ああ、あれ。よく気ついたな。六ちゃん」
「そりゃあ、今日さんざん聞いたからね」ちなみの僕の名前は、六太という。

そんな時だった、ゴロゴロゴロ!?突然の雷に刺激された雲が大粒の雨を降らした。
「夕立かな」
「そやろ」

「みかの原 わきて流るる いずみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」
その時点で、句の意味はわからなかったけど、悲しい句であることは、想像出来た。

急な海音は、やはり夕立だった。麦茶を三杯おかわりした頃には、雨はすっかり上がり、さっきの落雷さえ
遠い昔のようである。その間に田島くんのおばあちゃんと談笑できたもの良かった。何故なら、一夜づけの
彼は、ふすまの句の由来までは、知らなかったからだ。
おばあちゃんは、「この歌は、恋する人への憧れの歌やで」と教えてくれた。

おばあちゃんは、門の所まで出てきて、手を振ってくれた。遠くまで歩くのかと思っていたら、すぐに
恭仁宮に着いた。しかしそこは、田んぼだった。正確には、大垣の中だそうだ。
e0307890_0512441.jpg

田んぼの真ん中の、一本道を進むと一段高くなった所があった。
e0307890_0534145.jpg
僕は、平城京のようなイメージをしていたのだけど、そこは、ただの原っぱとしか思えないほど、簡素な
草むらだった。ただ恭仁宮と彫られた石碑が静かに建っていた。
「その顔やと、がっかりしたって感じやね」
「正直にもう少し派手なものを想像してたかな」
「六ちゃん、それは偏見やで、俺思うんやけど、世界遺産とか国宝とかになると、凄い人集まるやんか?
そこまで守り通した人の苦労とかも当然あると思うけど、建物とか、特質な自然が無くても、その土地に
は、歴史は詰まってるんや。それは、ここだけのことちゃうで。何処でもそうやし、そやから今日は、六ちゃん
に、少しでも知ってもらえて良かったと俺は思ってんねんな」
僕と同じ年齢の彼は、凄いことを言うものだと、あっけにとられてしまった。果たして僕は、地元の歴史を
こんなにも胸を張って伝えることは、とても出来ないからである。
「君の言うとおりかもしれない。そうすると日本全国、いや海外にしても、僕は行かなければならない所があり
すぎるようだ」
「そうさ、俺らには、知らんことがたくさんあるんや。今度は、六ちゃんの故郷を是非紹介してや」
「そうだね。僕も予習しなとね」
「アハハハ。俺と同じやな」

その後彼は、歩いて駅まで送ってくれた。僕が電車に乗り込むのを見て、木製の柵越に、僕の座席の横までやってきた。やがて電車のドアが閉まり僕は手を振った。
大きく手を振る彼の姿は、すぐに見えなくなった。
[PR]
by travel2013 | 2013-01-20 01:36 | 京都紀行 | Comments(0)

京都建築探訪~北山の修行僧達

バス停その名の通り、人がバスを待つ所、大原のバス停は、そんな簡単なものじゃない。
長蛇の列に埋もれる私を救ったのは、やはりこの男、同志君。君の行動のおかげで、京都建築探訪の看板を私は、守ることが出来たのだ。
切符売り場のおばちゃんvs同志君この闘いこそ建築への道へのシナリオの始まりだった。
「すいません。安藤忠雄の陶器に書いた絵画を見たいんですが、場所ってどのへんでしょうか?」
おっと!?いきなりのジョブ。その質問におばちゃんは……
「???」
おおっと!やはり返せない!このままダウンかと思いきや地図を広げ出したおばちゃんが、まさかの
カウンター炸裂!
「北山の陶板ね。それだと国際会館前行きのバスに乗ってもらって、地下鉄で北山まで行って下さい」
さすが京都の切符売り場のおばちゃんである。面くらったのは、私の方であった。

そんなやり取りのおかげで、国際会館前にうまく乗車した私達は、北山へやってきた。
地下鉄の出口の横にその壁はあった。
建築界の巨匠安藤氏の設計。その名も「京都府立陶板名画の庭」世界的な名画と、世界的建築家の生み出す、コンクリーと絵画の共演。実物大のスケールに度肝を抜かれた。
レオナルド・ダ・ビンチ作「最後の晩餐」
e0307890_20565030.jpg

ミケランジェロ「最後の審判」※写真右
e0307890_2103342.jpg

壁の滝(これは、建築の意匠と思われるが、まるで一つのアート、絵画のように見える……
e0307890_2123777.jpg

その他、モネやゴッホなどの名画も、ほぼ原寸大で見える野外の美術館。そして入場料100円は、破格である。大規模な水盤の施設等を考えても、どのように運営されているのか、庶民の私達には、財源は不明だったが、何はともあれ100円なのだ。

さあまだ、日は沈まない。厳密には沈もうと傾いているのだが、同志君の何気ない一言から、ここに修行僧
が二人誕生するはめになる。
「とりあえず鴨川目指して行きましょか」
「いいっすよ」
私は軽く言った。
さあ、ここで心の準備をしっかりしておく事がいかに肝要であるか、私達はまだ知らない。
南下して歩き出したのだが、もう少しいけるなどと、言っていたら、気がつけば、北山から京都駅へひたすら歩くという荒行を敢行してしまったのだ。言うまでもなく私は、その日から、筋肉痛になった。
駅についてお互い心の中で思ったであろう「これだけたくさんの人が行き交う中、北山から歩いた者は、きっと
私達だけであろうと」フフフ。

二編構成にわたる、私達の京都建築探訪もここで、幕を閉じる事とさせて頂こう。
久々の旅紀行に、心が躍った私の背中を、旅という勢いが加速するのを感じる。
そう、長谷寺へのカウントダウンはもう始まっていたのかも知れない…
[PR]
by travel2013 | 2013-01-17 21:32 | 京都紀行 | Comments(0)

京都建築探訪~大原編

2012年11月中旬。その週は、天候が不安定であったにも関わらず、その日は奇跡的に天気マークは、晴れだった。測らずしも、その前後の日は、見事に天候は崩れたのであった。

さてこの旅は、京都建築探訪でお馴染みの、同志と巡る、紅葉の旅である、そして、私達が訪れたその日こそ、まさに大原の山河が燃ゆる最高の一日になったのである。

京都駅の朝は、やはりごった返していた。相変わらず駅の改札口からは、、人、人、人が大量に掃き出されていた。中央改札から、東北に位置する17番のバス乗り場こそ、私達が目指す大原への第一関門と言っても過言ではない。
何故なら、並ぶ順番を誤れば、人生最大の満員バスを体験する事になるからだ(汗)しかし、私達は、巧みに
一番先頭をキープすることに成功した。
そして、バスは、ひたすら北へ。
おっとここで、改めなければならないことがあった。沸騰する車内で発覚したのだが、同志は、私のような
ペーペーからみれば、彼は旅の先輩だったのだ。改めて知る同志の旅レベル。と言うことで、これからは憧れの眼差しポイントUPで同志君と改名する。

突然だが、山の天気を侮ってはならない。いやそれは、違う山ではと、旅の先輩からツッコミが聞こえてきそうだが、実際のところは、このあたりまでは、天気はまだ怪しかった事を言っておかなければならないだろう。

京都大原、そう言わずと知れた本気の紅葉スポット、その代名詞「大原三千院」
そんじょそこらの紅葉では、私達を満足させることは出来ないのだ。ならば進むしかない。
山中の中に突如として現れた食の参道に店舗の数々、その横を流れる呂川、夏の避暑地としては申し分なしだが、何といっても今は冬目前である。もし季節が夏なら、私は、間違いなく、きゅうりを買って参道を進んだであろう。

交通手段の何倍……いや、何十倍ということにしておこう。もやは、紅葉の絨毯を埋める観光客に沸く大原の
見事な事よ。空を泳ぐ鳥が鳴く。私達人間こそ、一種の紅葉であると。そして、三千院を拝した門前の通りこそ頂点を極めた瞬間だった。

潜る三千院の御殿門。私達は、ビニール袋に靴を下げ、時には順路に逆らってみたりする。そんな中でも撮影を怠らなかった、同志君には、感謝の気持でいっぱです。それでは、しばしの紅葉を。
※言っておくが、決して私は、文章を画像でごまかすような人間ではない……はず。何故なら同志君の一枚の写真は、私の文字の一千字もの力を持つ。
e0307890_19205278.jpg

e0307890_19214578.jpg

e0307890_19251485.jpg

そして私達は知る「しばこけ」を。
e0307890_19241870.jpg

〆に試飲のお茶で体を温めてから我々は、列をなす路を嫌い、開拓者の路を行く事をあえて選んだ。その行動は、、奥地の滝を目指した、滝の路からも疑わうべく、真実の路を行くのであった。
そう人っ子一人いない古道…ただあまりの暇に耐えかねて、警備のおっちゃんがベンチで昼寝をしている
ばかりであった。

大原の東に代表されるのが三千院であるなら、西の要は、言わずと知れた寂光院であろう。
古道を行く私達の視界がにわかに慌ただしくなった頃、石段の先には厳かな門構えが見えた。
不詳の大火により近年消失してしまった本堂。ああ、人の心は恐ろしくもはかないものである。再建された本堂を思うと歴史の重さと、この山奥まで運ばれてきた、資材の困難さを考えると、先人がいかに偉大であるかがよくわかる。もちろん私は、NHK大河ドラマ「平清盛」を毎週欠かさず見ていたから、平家のプリンスにして、
我が国の頂点を極めた建礼門院様の、波乱万丈さに感じるものは、大きかった。
e0307890_19534328.jpg

大原の良い所、それは、山裾の堺と言えど、食べ物に困らないところである。湯豆腐で胃袋を満たした私達に
大原との別れの時がやってきた。代表的な観光スポットを周れたことに、満足した半面、私達いわば観光客と
この山深い里に住む人々にとっての大原とは、観光という公の目的では、揺るぎないパイプで繋がっていようとも、大原女さんが生きた大原という時代は、私達は、何も知らないのだ。
そして、まだ天候の定まらない里の景色の中に、ほんとうの姿を宿しているのではないかと、私は感じる。
e0307890_20112090.jpg

京都建築探訪~北山の修行僧達へ続く。
[PR]
by travel2013 | 2013-01-17 19:27 | 京都紀行 | Comments(0)

当尾を旅して

京都府木津市という地名をみなさんは、ご存じであろうか?
その市内東南部に位置する、当尾の里が今回の旅の舞台である。

年齢と共に旅のスタイルは、変化すると思うのだが、今もって私の旅というのは、寺社仏閣を巡る旅が主で
ある。時に今回は、石仏にもチャレンジしている。さぁ、それでは、日本の歩きたくなる道500選にも選ばれた
石仏を訪ねる旅に出発しようではないか。

旅のスタートは、京都府木津市にあるJR加茂駅からである。
時計の針は、午前11時を指していた。当尾地区へは、便利なコミュニティバスが運行しているが、私は、脱メタボ運動を推進するため、あえて徒歩を選んだ。
※観光される方には、快適なバスの旅をお勧めしたい。ただ、この旅紀行の読者に旅の先輩がおられるの
なら徒歩でも問題ない工程だろうと思われるのが、旅人に憧れる私の持論である。

タイトルにも当尾と記しているが、今回の旅には、三つの歴史ポイントが存在する。その中には、国宝も存在するのでお楽しみして頂きたい。
まず第一の歴史ポイントへ

聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが始まりと伝わる岩船寺。バスなら16分の工程を、私はなめていた。距離にして約6.2km。ただの紙切れの地図では、その高低差を知ることができなかった。
駅を出発してアップダウンの道のりに、11月後半といえど、私の背中は潮を吹いていた。
地図に描かれた、細くうねった線を、実際に自分の足で歩いていると、とぐろを巻きながら登る路は、大蛇の背を這うように感じる。天候には恵まれた一日だったが、所々に存在する山道を覆う高木の類が自然の天井を作り太陽の恵みを遮断していた。そんな時、私の背中は冷え冷えとするのであった。

岩船寺 三重塔(室町時代/重要文化財)
e0307890_0135767.jpg
あじさい寺としても知られる、岩船寺山門が見えたのは、正午をまわった頃だった。
道中寂しく、ここまでやって来た私は、人気のなさに心配を隠せなかった。しかし紅葉の時期とも重なり、山門前は今日一番の賑わいをみせていた。
紅葉ど真ん中の境内の中央付近にある「阿字池」の先には、三重塔の朱色と相まって美しい。
真新しく見える朱色は、近年、補修を終えたばかりだそうで、本堂では、朱色にまつわる、おもしろエピソードが聞くことが出来る。
続いて、第二の歴史ポイントへ










岩船寺から2km程歩くと、大型観光バスの横文字が目についた。そう浄瑠璃寺の到着である。
  浄瑠璃寺 阿弥陀堂(藤原時代/国宝)
e0307890_048662.jpg

e0307890_131736.jpg
浄瑠璃寺 三重塔(藤原時代/国宝)

国宝九体阿弥陀如来像や四天王像(国宝)を、安置する阿弥陀堂も国宝という、京都府と奈良県の県境付近に位置する、この古刹は、名所中の名所と言える。又、西に配置された阿弥陀堂と池を挟んだ対岸の、東側に建つ三重塔も、国宝に指定されているから、国宝のオンパレードなのだ。当然、重要文化財に指定されているものも、多数存在している。
浄瑠璃寺では、まず東の薬師仏(三重塔に安置されている)に苦悩の救済を願い、その前で振り返り池越に彼岸(岸の向こう)の阿弥陀仏(本堂)に来迎を願うのが本来の拝礼だそうである。
続いては、第三の歴史ポイントへ








浄瑠璃寺を後にした私は、岩船寺の方へ引き返すことにした。途中までは、一般府道を戻り、「あたご灯篭」までやって来ると、右手に見える農道へ入る。鎌倉時代から室町時代にかけて造られた石仏群が存在する、石仏の道へ足を踏み入れた。
最初は、民家の間を縫っていた小道もやがては、自然の姿に帰依していく。もう車が通ることは、許されないのである。昔から何も変わることのない景色に囲まれた中を、木々の木漏れ日と、澄んだ空気に満ちた世界は、厳かであり寂しくもある。所々開墾された田畑も今は、眠りにつくばかりであった。
よくよく考えてみると、石仏というものには、まったく縁が無かったことに気がつく。一般に石仏というと、お地蔵さんを想像するのだが、当尾の石仏の多くは、大きな石を彫り込んで造られているのだ。
最初に目にしたのが「カラスの壷二尊」だった。一つの四角い石に阿弥陀と、その側面に地蔵が彫られている。二面に掘られた石仏を始め、さまざまな石仏を見ることが出来るのが、石仏の道の由縁ではなかろうか。
その中でも「わらい仏」は、石仏群の中でも最も親しまれているようで、私もカメラに収めた次第だ。
e0307890_1431121.jpg

落ち葉の溜まった山中を徘徊し、人家が再び見えたのは、急な下り坂にさしかかった時だ。勢いよく下る気力が低下していた私は、足腰の疲労をかばいつつ、恐る恐る下った先に待つのは岩船寺の門前だあった。
石仏の旅を目標にしたにもかかわらず、浄瑠璃寺から北西にいちする「大門仏谷」を見ることが出来なかったのが残念だが、今から駅までの工程を考えると、自分の工程計画があながち間違っていたとも言えない。
さあ、駅までハイキングの始まりである。
[PR]
by travel2013 | 2013-01-12 16:15 | 京都紀行 | Comments(0)

京都建築探訪~第一章後編

八木邸から祇園へ到着した頃には、雲行きが怪しさをましていた。
念願だった、花見小路も心なしか、歩く速度が早まったように感じるのも無理はない。雨具を持たない
無防備な私達なのだから。あぁ、舞妓さんに一目会えていたなら、この無情さも感じることなく、心は晴れわたったに違いない。
そして予想は、的中した。八坂神社まできた時には、微妙な均衡はついに崩れて、小粒ではあったが、
肩を濡らす雨音に、やむなく意匠がいかにも京都らしい、コンビニに駆け込んだ。
ただ朱色の楼門は、小雨の中でも美しい。

e0307890_16344718.jpg


八坂の濡れた参道を、一段一段踏みしめる。煙る屋台の誘惑に、小腹をごまかした。香りだけでは、先ほど食した天ぷらを凌ぐ勢いだった。
石段を上った先にまず目を引くのが、銅板吹きから美しい反りの舞殿である。その大きさもさることながら飾られた提灯の多さに驚いてしまうばかりである。
舞殿の後方にも大きな入母屋の屋根が、銅板とは対照的で深みがある。檜皮葺の特殊な建築様式こそ
本殿なのだ。

e0307890_1729184.jpg


南楼門を抜けると私たちは、東へと延びる動線にちゃっかり乗っかった。
この選択が、まさに旅のだいご味と言わずして、何と言えるだろう。男道中二人旅の盲点を補ったサプライズ
になった。
また、旅人は言う。「円山公園の枝垂桜を見ずして何とする」

e0307890_14374555.jpg


さあ、建築探訪の名のもとに、観光地を渡り歩く私達。もう迷わないを合言葉に、べたで結構でお馴染みの
王道四条通りを西へ!一度は、行きたい不思議な地名「先斗町」へ向かう。

細く連なる通りは、家屋が防音壁の役割を担い、木屋町通りの喧騒に別れを告げた。鴨川さえ遠く感じるのは
気のせいだろうか?
軒を連ねる家屋の格子の静けさが、石畳みを鳴らす足元に長く続く花の路。
ガラス窓に写る、旅の姿を見れば、宵の口は、まだ遠い。
いずれ灯を宿す行燈を、今日は見れずとも、いつかの楽しみに、今は通りを楽しむだけである。

先斗町を締めくくる昭和の建築が私達の旅が終焉に近づいたことを、物語っていた。
重厚なコンクリート建築の出現にタイムスリップしたような気分だ。見上げても高さ目測するのは、難しく
目まいすら感じる。この近代建築とも言える巨大な建築物の全貌を恨めしく思っていると、同志が昔ながらの
階段を発見した。流石である。
階段を下りた先は、鴨川だった。思ったより水の流れは急がった。
見上げた、先斗町歌舞練場は、やはり大きかったの一言につきる。

e0307890_1531246.jpg


さあ、残るは京都駅までの歩行である。
今日一日のウオーキングが後日どのような、勢いと化して私に襲いかかってくるのか、その時は知るよしも
なかった。ただ、この後の食事会に向けて京都駅を目指すのみである。
[PR]
by travel2013 | 2013-01-11 16:37 | 京都紀行 | Comments(0)

旅初心者が旅人を目指して奮闘する旅紀行です。


by たびんちゅに憧れて
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30