まほろば紀行

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京都建築探訪~大原編

2012年11月中旬。その週は、天候が不安定であったにも関わらず、その日は奇跡的に天気マークは、晴れだった。測らずしも、その前後の日は、見事に天候は崩れたのであった。

さてこの旅は、京都建築探訪でお馴染みの、同志と巡る、紅葉の旅である、そして、私達が訪れたその日こそ、まさに大原の山河が燃ゆる最高の一日になったのである。

京都駅の朝は、やはりごった返していた。相変わらず駅の改札口からは、、人、人、人が大量に掃き出されていた。中央改札から、東北に位置する17番のバス乗り場こそ、私達が目指す大原への第一関門と言っても過言ではない。
何故なら、並ぶ順番を誤れば、人生最大の満員バスを体験する事になるからだ(汗)しかし、私達は、巧みに
一番先頭をキープすることに成功した。
そして、バスは、ひたすら北へ。
おっとここで、改めなければならないことがあった。沸騰する車内で発覚したのだが、同志は、私のような
ペーペーからみれば、彼は旅の先輩だったのだ。改めて知る同志の旅レベル。と言うことで、これからは憧れの眼差しポイントUPで同志君と改名する。

突然だが、山の天気を侮ってはならない。いやそれは、違う山ではと、旅の先輩からツッコミが聞こえてきそうだが、実際のところは、このあたりまでは、天気はまだ怪しかった事を言っておかなければならないだろう。

京都大原、そう言わずと知れた本気の紅葉スポット、その代名詞「大原三千院」
そんじょそこらの紅葉では、私達を満足させることは出来ないのだ。ならば進むしかない。
山中の中に突如として現れた食の参道に店舗の数々、その横を流れる呂川、夏の避暑地としては申し分なしだが、何といっても今は冬目前である。もし季節が夏なら、私は、間違いなく、きゅうりを買って参道を進んだであろう。

交通手段の何倍……いや、何十倍ということにしておこう。もやは、紅葉の絨毯を埋める観光客に沸く大原の
見事な事よ。空を泳ぐ鳥が鳴く。私達人間こそ、一種の紅葉であると。そして、三千院を拝した門前の通りこそ頂点を極めた瞬間だった。

潜る三千院の御殿門。私達は、ビニール袋に靴を下げ、時には順路に逆らってみたりする。そんな中でも撮影を怠らなかった、同志君には、感謝の気持でいっぱです。それでは、しばしの紅葉を。
※言っておくが、決して私は、文章を画像でごまかすような人間ではない……はず。何故なら同志君の一枚の写真は、私の文字の一千字もの力を持つ。
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そして私達は知る「しばこけ」を。
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〆に試飲のお茶で体を温めてから我々は、列をなす路を嫌い、開拓者の路を行く事をあえて選んだ。その行動は、、奥地の滝を目指した、滝の路からも疑わうべく、真実の路を行くのであった。
そう人っ子一人いない古道…ただあまりの暇に耐えかねて、警備のおっちゃんがベンチで昼寝をしている
ばかりであった。

大原の東に代表されるのが三千院であるなら、西の要は、言わずと知れた寂光院であろう。
古道を行く私達の視界がにわかに慌ただしくなった頃、石段の先には厳かな門構えが見えた。
不詳の大火により近年消失してしまった本堂。ああ、人の心は恐ろしくもはかないものである。再建された本堂を思うと歴史の重さと、この山奥まで運ばれてきた、資材の困難さを考えると、先人がいかに偉大であるかがよくわかる。もちろん私は、NHK大河ドラマ「平清盛」を毎週欠かさず見ていたから、平家のプリンスにして、
我が国の頂点を極めた建礼門院様の、波乱万丈さに感じるものは、大きかった。
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大原の良い所、それは、山裾の堺と言えど、食べ物に困らないところである。湯豆腐で胃袋を満たした私達に
大原との別れの時がやってきた。代表的な観光スポットを周れたことに、満足した半面、私達いわば観光客と
この山深い里に住む人々にとっての大原とは、観光という公の目的では、揺るぎないパイプで繋がっていようとも、大原女さんが生きた大原という時代は、私達は、何も知らないのだ。
そして、まだ天候の定まらない里の景色の中に、ほんとうの姿を宿しているのではないかと、私は感じる。
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京都建築探訪~北山の修行僧達へ続く。
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# by travel2013 | 2013-01-17 19:27 | 京都紀行 | Comments(0)

当尾を旅して

京都府木津市という地名をみなさんは、ご存じであろうか?
その市内東南部に位置する、当尾の里が今回の旅の舞台である。

年齢と共に旅のスタイルは、変化すると思うのだが、今もって私の旅というのは、寺社仏閣を巡る旅が主で
ある。時に今回は、石仏にもチャレンジしている。さぁ、それでは、日本の歩きたくなる道500選にも選ばれた
石仏を訪ねる旅に出発しようではないか。

旅のスタートは、京都府木津市にあるJR加茂駅からである。
時計の針は、午前11時を指していた。当尾地区へは、便利なコミュニティバスが運行しているが、私は、脱メタボ運動を推進するため、あえて徒歩を選んだ。
※観光される方には、快適なバスの旅をお勧めしたい。ただ、この旅紀行の読者に旅の先輩がおられるの
なら徒歩でも問題ない工程だろうと思われるのが、旅人に憧れる私の持論である。

タイトルにも当尾と記しているが、今回の旅には、三つの歴史ポイントが存在する。その中には、国宝も存在するのでお楽しみして頂きたい。
まず第一の歴史ポイントへ

聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのが始まりと伝わる岩船寺。バスなら16分の工程を、私はなめていた。距離にして約6.2km。ただの紙切れの地図では、その高低差を知ることができなかった。
駅を出発してアップダウンの道のりに、11月後半といえど、私の背中は潮を吹いていた。
地図に描かれた、細くうねった線を、実際に自分の足で歩いていると、とぐろを巻きながら登る路は、大蛇の背を這うように感じる。天候には恵まれた一日だったが、所々に存在する山道を覆う高木の類が自然の天井を作り太陽の恵みを遮断していた。そんな時、私の背中は冷え冷えとするのであった。

岩船寺 三重塔(室町時代/重要文化財)
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あじさい寺としても知られる、岩船寺山門が見えたのは、正午をまわった頃だった。
道中寂しく、ここまでやって来た私は、人気のなさに心配を隠せなかった。しかし紅葉の時期とも重なり、山門前は今日一番の賑わいをみせていた。
紅葉ど真ん中の境内の中央付近にある「阿字池」の先には、三重塔の朱色と相まって美しい。
真新しく見える朱色は、近年、補修を終えたばかりだそうで、本堂では、朱色にまつわる、おもしろエピソードが聞くことが出来る。
続いて、第二の歴史ポイントへ










岩船寺から2km程歩くと、大型観光バスの横文字が目についた。そう浄瑠璃寺の到着である。
  浄瑠璃寺 阿弥陀堂(藤原時代/国宝)
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浄瑠璃寺 三重塔(藤原時代/国宝)

国宝九体阿弥陀如来像や四天王像(国宝)を、安置する阿弥陀堂も国宝という、京都府と奈良県の県境付近に位置する、この古刹は、名所中の名所と言える。又、西に配置された阿弥陀堂と池を挟んだ対岸の、東側に建つ三重塔も、国宝に指定されているから、国宝のオンパレードなのだ。当然、重要文化財に指定されているものも、多数存在している。
浄瑠璃寺では、まず東の薬師仏(三重塔に安置されている)に苦悩の救済を願い、その前で振り返り池越に彼岸(岸の向こう)の阿弥陀仏(本堂)に来迎を願うのが本来の拝礼だそうである。
続いては、第三の歴史ポイントへ








浄瑠璃寺を後にした私は、岩船寺の方へ引き返すことにした。途中までは、一般府道を戻り、「あたご灯篭」までやって来ると、右手に見える農道へ入る。鎌倉時代から室町時代にかけて造られた石仏群が存在する、石仏の道へ足を踏み入れた。
最初は、民家の間を縫っていた小道もやがては、自然の姿に帰依していく。もう車が通ることは、許されないのである。昔から何も変わることのない景色に囲まれた中を、木々の木漏れ日と、澄んだ空気に満ちた世界は、厳かであり寂しくもある。所々開墾された田畑も今は、眠りにつくばかりであった。
よくよく考えてみると、石仏というものには、まったく縁が無かったことに気がつく。一般に石仏というと、お地蔵さんを想像するのだが、当尾の石仏の多くは、大きな石を彫り込んで造られているのだ。
最初に目にしたのが「カラスの壷二尊」だった。一つの四角い石に阿弥陀と、その側面に地蔵が彫られている。二面に掘られた石仏を始め、さまざまな石仏を見ることが出来るのが、石仏の道の由縁ではなかろうか。
その中でも「わらい仏」は、石仏群の中でも最も親しまれているようで、私もカメラに収めた次第だ。
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落ち葉の溜まった山中を徘徊し、人家が再び見えたのは、急な下り坂にさしかかった時だ。勢いよく下る気力が低下していた私は、足腰の疲労をかばいつつ、恐る恐る下った先に待つのは岩船寺の門前だあった。
石仏の旅を目標にしたにもかかわらず、浄瑠璃寺から北西にいちする「大門仏谷」を見ることが出来なかったのが残念だが、今から駅までの工程を考えると、自分の工程計画があながち間違っていたとも言えない。
さあ、駅までハイキングの始まりである。
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# by travel2013 | 2013-01-12 16:15 | 京都紀行 | Comments(0)

京都建築探訪~第一章後編

八木邸から祇園へ到着した頃には、雲行きが怪しさをましていた。
念願だった、花見小路も心なしか、歩く速度が早まったように感じるのも無理はない。雨具を持たない
無防備な私達なのだから。あぁ、舞妓さんに一目会えていたなら、この無情さも感じることなく、心は晴れわたったに違いない。
そして予想は、的中した。八坂神社まできた時には、微妙な均衡はついに崩れて、小粒ではあったが、
肩を濡らす雨音に、やむなく意匠がいかにも京都らしい、コンビニに駆け込んだ。
ただ朱色の楼門は、小雨の中でも美しい。

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八坂の濡れた参道を、一段一段踏みしめる。煙る屋台の誘惑に、小腹をごまかした。香りだけでは、先ほど食した天ぷらを凌ぐ勢いだった。
石段を上った先にまず目を引くのが、銅板吹きから美しい反りの舞殿である。その大きさもさることながら飾られた提灯の多さに驚いてしまうばかりである。
舞殿の後方にも大きな入母屋の屋根が、銅板とは対照的で深みがある。檜皮葺の特殊な建築様式こそ
本殿なのだ。

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南楼門を抜けると私たちは、東へと延びる動線にちゃっかり乗っかった。
この選択が、まさに旅のだいご味と言わずして、何と言えるだろう。男道中二人旅の盲点を補ったサプライズ
になった。
また、旅人は言う。「円山公園の枝垂桜を見ずして何とする」

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さあ、建築探訪の名のもとに、観光地を渡り歩く私達。もう迷わないを合言葉に、べたで結構でお馴染みの
王道四条通りを西へ!一度は、行きたい不思議な地名「先斗町」へ向かう。

細く連なる通りは、家屋が防音壁の役割を担い、木屋町通りの喧騒に別れを告げた。鴨川さえ遠く感じるのは
気のせいだろうか?
軒を連ねる家屋の格子の静けさが、石畳みを鳴らす足元に長く続く花の路。
ガラス窓に写る、旅の姿を見れば、宵の口は、まだ遠い。
いずれ灯を宿す行燈を、今日は見れずとも、いつかの楽しみに、今は通りを楽しむだけである。

先斗町を締めくくる昭和の建築が私達の旅が終焉に近づいたことを、物語っていた。
重厚なコンクリート建築の出現にタイムスリップしたような気分だ。見上げても高さ目測するのは、難しく
目まいすら感じる。この近代建築とも言える巨大な建築物の全貌を恨めしく思っていると、同志が昔ながらの
階段を発見した。流石である。
階段を下りた先は、鴨川だった。思ったより水の流れは急がった。
見上げた、先斗町歌舞練場は、やはり大きかったの一言につきる。

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さあ、残るは京都駅までの歩行である。
今日一日のウオーキングが後日どのような、勢いと化して私に襲いかかってくるのか、その時は知るよしも
なかった。ただ、この後の食事会に向けて京都駅を目指すのみである。
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# by travel2013 | 2013-01-11 16:37 | 京都紀行 | Comments(0)

京都建築探訪~第一章前編

何十年ぶりと言ってしまうと、私の年齢が暴露してしまいそうで、いささか不安を感じる出だしとなってしまうのだが、私は、旅の記憶をここに、記すことを宣言する。

何が、何十年ぶりかというと、京都駅へ降り立ったことである。そう言わずと知れたマンモスSTATION!
有名建築家が設計を手掛けた京都駅ビルが私たちの最初の目的地でもあった。
到着早々に田舎者の私は、乗客の波に呑まれて、迷うことなく中央改札口へ押し出されてしまった。
今になって思うと、ぽかんっと口をあけた、間抜け面で大空間の天井を眺めていたのが、内部の印象を大きく形成してしまったと言わざるおえない。

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結果的に集合時間より早く到着した私は、巨大建築物とそれを取り巻く人の渦の中にいた。
駅ビルの足元に大きく展開する渦の一団は、巨大な集合体に見えて、決してまとまった存在ではない。
行き交う人々の行き先が同じでないのは、明白だから。雑踏の中に、鮮やかに咲いた和の共演は、ここが京都だと言うことを、物語っている。
そんな、流れに逆らうことなく、流暢なステップで君はやって来た。そう今回の、旅のパートナー建築探訪同志
(以降、同志という)である。
私たちは、久々の再開に談笑も交えながら北上ルートを開拓すべく、同志の持参した地図に目をおとした。
目指すは、新選組のゆかりの地である。
これは、私のたっての希望を、同志が快く同意してくれたことから、実現した歴史ポイントなのだ。
新選組については、人並みの知識しか持ち合わせていないが、時代に逆行する若人達の物語を思えば
いつかは、訪れてみたい場所だった。私は、NHKのドラマっ子で以前放送された、NHK大河ドラマ「新選組」
に惚れ込み当時気合いで、ビデオ録画をしていたのが今は、とても懐かしくてならない。
その後、DVDという新時代の幕開けにブルーレイ号の来航によって、私のバイブルは、時代遅れの長物となってしまうのだが……
一応、名誉の為に言っておくが、私は、時代に一度は闘いを挑んだのだったが、あえなく敗れ去ってしまった。
DVD時代を経験してしまうと、VHS時代には、もう戻れない。

私たちを容赦なく惑わす碁盤の目!もう囲碁なんてやらないと同志は思ったかどうかは、分からないが、北の方角は鬼門だけあって、北の方向に漂う不気味な曇空が、快調な足取りに不安の影を落とす。
あえて大通りをさけた、行路が仇となって、気がつけば目的地の壬生寺を通り越すハプニングに見舞
われた。でもそれが旅というものだとお互いプラス思考でその場を凌いだのであった。

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本堂の軒の深さにため息を漏らす、私の横で同志のデジカメが阿弥陀堂をロックオンしたらしく
境内に建つ、近代建築の象徴ともいえる、コンクリート打放しと木造とのコラボレーションにシャッターを
切っていた。近年、寺社仏閣建築に新しい風が吹いているのがその証拠である。

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本玄関から中の間、奥の間と開け放たれた空間を抜ける通り風は、四月初旬にしては、まだ冷たい
ヒンヤリした場の空気に呼応を合わせた、ガイドはんのしたたかな、語りに奥の間に集まった私たちを含めた
数人は、今は時代を遡ることを許されたのである。
文久3年9月18日のどしゃぶりだったあの日の、惨劇が巧みな話術によって再現されようとしている。
次第に早まる危機の足音に私は、息を吞む。喉の奥が乾燥していて息が苦しい。そうもしていると、縁側の
木戸が知らぬうちに、バタンと倒れた!
暗闇にうごめく思いが交差する間もなく全ては決したのだと……

それは、壬生寺から程近い、八木家の出来事だった。

後編に続く。
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# by travel2013 | 2013-01-11 10:30 | 京都紀行 | Comments(0)

菖蒲池紀行

突然鳴り響く携帯電話の音に、私は手を伸ばした。
その波長は、短くあったのだが、掌の中で暫く浮かび上がる発信者の光を眺めていた。
おもむろに、文面を開いてみるとそれが、永らく保留になっていた案件であることに気がついた。
私の心は、にわかに踊り出した。
そう盟友「ならんちゅ」からの旅のしおりだったのである。
※ちなみに「ならんちゅ」とは漢字で表記すると「奈良人」と書く。
かくして私は、ならんちゅの待つ、奈良県奈良市の菖蒲池へ旅立つ運びとなったのである。

季節は、11月後半にさしかかったある日、私は事前に交通手段を入手していたにも関わらず
JR奈良駅を下車すると西に。近鉄奈良線の新大宮駅へ、頬をさらう冷えた空気の中を歩んでいた。
新大宮駅に到着すると時刻は、もうお昼前だったにも関わらず、この地が観光地の一角であると
私は、勝手に解釈している。平日のお昼にして、人の流れは、混雑していた。
そして、初めての乗車となるであろう近鉄奈良線へ乗車して、菖蒲池を目指して電車は、出発したのだった。

菖蒲池へ到着すると、雲の間から太陽がのぞいていたことで、良い旅日和であると感じていたのだが
待てど暮らせど、ならんちゅは一向に現れない……
改札口の上方に掲げられた「菖蒲池駅」という字体を見て、思い出したことがある。
それは、旅のしおりの題名にもあった「菖蒲池」恥ずかしながら私は、あやめ池という漢字を
ごく最近まで知らなかったのだ。

ならんちゅの血液型を私は、面と向かって聞いたことは無いが、多分B型だと思う。
結局いつもの感じで、20~30分遅れでならんちゅは、愛用の自転車で颯爽とやって来た。
今度から到着時間を30分早めに設定して丁度だなと心の中で思う。
おっと、ここで文章にしてしまうと、ならんちゅにバレバレである(苦笑)



かくして私たちは、久々の再開を果たした訳だが、時は昼食時なり。
線路伝いに住宅街の迷路道を抜けて、ならんちゅの住まいで暫しの昼食&休憩を!

一度足を休めると、そこから動くのが、えらく億劫に思えて仕方ない。きっと、ならんちゅの
心尽くしのもてなしと、居心地の良いダイニングがそうさせたのだ。
重い腰を上げて、玄関の重厚な扉を開ければ、冬風が見にしみる。そしてブーツの底が
冷たいことを言っておかねばならないだろう。

さあ、ここからが、菖蒲池紀行の真髄である。
迷路道を登ったり下ったりしていると、ならんちゅが突然。
「ここから小京都を味わって下さい」
と言った。それは、高級住宅街に突如として現れた路地から連なる急勾配の階段である。
周りに生い茂る高木が夕日に傾く太陽を遮断して大きな影を路に演出していた。
ならんちゅの感性は、どこまでも研ぎ澄まされている。
小京都でないと人は言ったとしても、彼の独自の世界観を通して見ればそこは、小京都で
しかないのである。私は、静かなその階段路を降りて行った。
階段を下りると路地は左側へ直角に曲がっていた。角を曲がると数十メートル先まで抜けた一本道が
太陽の路になっていて、眩しさのあまり、私は、中折れハットの角度を下方修正するように迫られた。

やがて住宅街のメイン道路とおぼしき所まで出てくると、奈良ナンバーの車が途切れることなく
私たちの横を勢いよく通り過ぎて行った。どうやらそこは、抜け道らしくなかには、一般道並みの速度で
走り去る車もあった。

私は、今回の旅にあたって何も下調べはしていない。しいて言うなら交通手段についてPCを
駆使したまでだ……
だから、目の前が開けた時に最初に飛び込んできた池が、あやめ池だと思ったが、ならんちゅは、
蛙何とか池だと言った。
私は、がっかりするどころか水に飢えていた、と言ったら大げさだが、親子で賑わう池の畔にかかる一本の橋に日常ではないものを感じて、蛙何とか池(正式には蛙股池)を神聖なものを見つめるような眼差しになっていた。
橋の幅は狭く、人が二人すれ違うほどだったが、そこから東の彼方に見えた若草山の雄姿にいたく心を打たれてしまった。そして電線にかぶる名阪国道。

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いよいよ目指すは、あやめ池、その目標めがけて、自転車と徒歩の凸凹コンビは、一度菖蒲池駅まで戻り
私は、あやめ池商店街の連絡通路を彼は、迂回して踏切を、それぞれ線路を越えて、奈良方面駅舎で落ち合った。この駅は、南北の改札口で雰囲気が全然異なるのだが、その模様は、街の構成にも似ていた。
到着時に降り立った難波方面駅舎は、レトロな下町の雰囲気が漂う一方で、その反対に奈良方面駅舎は
ロータリーが大きく開けて、その前を走る大きな道路に近代建築物が、閑静な佇まいをみせた。

駅舎の前に伸びる、目新しく映る歩道を、進んで行くと、そこがあやめ池、そしてかつての、あやめ池遊園地の跡だったのである。遊園地の面影はなく整備された公園となった元遊園地。その周りには、今ではマンションや住宅が立ち並ぶ。
池を二分する橋の先で私たちは、一息入れた。何処からともなく二羽の水鳥が、湖面を滑りながらこちらへやって来た。その姿に私は、目をやったのだが、そこで思わぬ物に遭遇した、円形のコンクリートの塊が二つ水面から数十センチ下に沈んでいる。私は、ならんちゅの顔を見た。彼にはそれが何であるかすぐ解ったらしくもの静かにそれが、当時賑わいをみせたであろう、絶叫遊具の基礎であると教えてくれた。
私は、ふと当時の賑わいを想像してみたが、聞こえてくるのは、歓声ではなく自然の摂理と、近くを走る車の排気音だけだった。隣の君は、今何を思う?家族との思い出のひと時を水面の向こうに見ているのかもしれない。
ならんちゅは、時々寂しそうに言葉を繋ぐが、私には実感がなく、昔の遺構というよりは、目新しく見えてならない。この街に関わる人、そうでない人とでは、同じものを見ても違って見える。
夕日に沈む、あやめ池を私たちは、ただ言葉少なく見つめるばかりであった。

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# by travel2013 | 2013-01-10 12:49 | 奈良紀行 | Comments(1)

旅初心者が旅人を目指して奮闘する旅紀行です。


by たびんちゅに憧れて
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