時は、西暦645年
二人の御仁が山中深くへやって来た。
そこは、多武峰(とうのみね)と言った。
大和の国、現在の奈良県桜井市の南部に広がる多武峰は、深き森である。
二人とも只者でない雰囲気に包まれていたが、森の隙間に降り注ぐ光のカーテンが
後を行く青年を照らす時、その衣装と相まって、雅に見える。
先を行く男は、時々青年を気遣うように見えた。
やがて多武峰を深く分けてやったきたところで、二人は言葉を交わしたのである。
何やら談合が行われた……
やがて人々は「談い山」などとこの山を呼んだ。
そんな伝承から談山神社の社号になったと伝わる。
庭の右上には、世界で唯一の木造十三重塔が見える。
その背後には、伝承の談い山が深い森を形成する。
この国の歴史が動き始めたのはではないだろうか?
最後に、付け加えておくと、先を行く男を中臣鎌足
そして後を行く青年は中大兄皇子と言った。
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by travel2013
| 2016-04-06 19:00
| 奈良紀行